28244476.jpg合宿2日目 今日はいよいよ合宿最大試練 鋸山頂上制覇訓練
7時に起床しB棟一階食堂で朝食を取る ご飯と味噌汁 少量の漬け物と
塩鮭それとキャベツの千切りの粗食 隊員達は文句の一つも言わず(言えず?)
黙々と食事をしました。飽食の時代、我々の周りにはいくらでも食べ物があります
昨日の講義で鈴木 茜隊長に「もし世界が100人の村だったら」というメール本を
読んでもらいました。アフリカでは1時間に6000人の飢餓死者が出ているそうです。
合宿で粗食を食べるたび自分は二つのことを思い出します、一つは大山総裁が生前言っていた
山籠もりにおける最大の恐怖は飢える事だと言う事、現代人は飢えるなどといった経験はしようが
ありません、しかし、疑似体験はできます その為の鍛えの合宿でもあります。
少ないおかずでご飯を食べる 日頃如何に自分たちは贅沢の限りを尽くしているのかを、
知らずに経験することになります。

もう一つは昨日、講義にも出てきた沢庵和尚の話です。
昔、とある大名が身体の不調を訴え沢庵に相談に来ました。
身体の調子が悪く食欲がない これはどうしたものであろうか?
沢庵和尚は生活の様々な様子を聞き快気させることを約束 大名に断食を勧めました。
2,3日が経ち、さすがに腹を減った大名が「沢庵何時になったら食事をさせてくれるのだ」と聞く
「今、しばらく我慢のほどを後ほど最高のご馳走をお出しします」と沢庵が言う。
さらに3日ほど経ち「もう、いい加減にせい沢庵、腹が減って死にそうだ」と大名が言う。
「いま、しばらくの我慢を」と沢庵 「もう限界じゃいつまでこの空腹を我慢すればよいのだ」
大名はフラフラになりながら和尚に聞く「ならば明日の朝、最高の料理を馳走いたします」と沢庵が
言うものだから大名は空腹で眠れない夜を過ごすのでした。
夜は側室をはべらかし、贅沢の限りを尽くしていた大名もさすがに打ちひしがれていたそうです。
翌朝、沢庵がどんなご馳走を振る舞ってくれるかと楽しみにしていた大名の前に置かれたのは、
真っ白なご飯と一切れのタクワンでした。「無、無礼者、何だ此の粗食は!」声を荒げて怒り出す大名
すかさず沢庵和尚は「まあ、そう言わずその沢庵を口に入れ良く咀嚼して味わいなさい」と言いました。
怒りに震えながらも大名はタクワンを口に入れ何度も噛みしめながら味わいました。
大名の身体の不調は贅沢な食事と(現代の病もその原因のほとんどが食事とストレスと言われています)
忘れていた食べ物の有り難さと、すっかり良くなった胃腸を思い出し沢庵和尚に心から感謝をし
食べ物を作ってくれている百姓に感謝の気持ちが持てる名大名になったと言う話でした。
長い引用になりましたが、要するに贅沢は万病の元であり、こういう機会に好きな物が食せることに
感謝の気持ちを持たなければいけないと言う事を、みんなが学ぶことになりました。

内房線岩井駅から下りの電車に乗り一路、鋸山に向かいます。
金谷駅で降り保田方面の尾根から登山が始まりました。
登山口には、沢コースとハイキングコースに別れていましたが、今回は沢ガニ取りをしようと
決めていたので沢コースを選ぶことにしました。 結論から言うとこれは大変な選択であったのです。
沢コースは山歩きに慣れたトレッキングコースで鋸山の名称通り登り下りが激しい本格的な
登山コースです。登山後すぐに沢が出現し敦史塾長に探索に行かせると蟹がウジャウジャいるということで
急遽蟹取り合戦になり昆虫箱いっぱいの蟹が捕れました。山道では丸尾一真君がクワガタムシを見つけたり
大アゲハを発見したりと大はしゃぎでありましたが、笑ってられるのは今のうちだけだったのでした。

途中、人工のトンネルを潜るのだがその直前に何か動物が倒れていました 見ると猪の子供が二匹
原形をとどめて死んでいたのです。ふ、不吉な予感が、引き返そうと思ったが丸尾婦人部長が、あの高らかな
大笑いでドンドン進んでしまい後退するチャンスを失いました(笑)。
そこからは地獄の山登り 上がったと思ったら又下がるの繰り返し 頂上までは歯を食いしばって
頑張ろう 頂上に行けば売店ぐらいあるだろうという淡い期待はみんなの水筒の水と共に消えていったのでした。

ロープを伝わっての本格的なトレッキングを幼稚園児までがやってしまう最強軍団 松栄塾。
頂上にて食べ物もなく水も底をついてきたとき新たな団結が生まれました。
体力のある者がないものをおぶり、水の無くなった人には水を分け合って飲み始めました。
合宿で一番学びたかったこと「友情」「協力」「団結」「励まし合い」が一瞬に凝縮した時間です。
鋸山の頂上で「エイエイオー」というコールが響き渡りました。

携帯で連絡を取り田島副会長に水を運んでもらうことに、連絡をするとここからは小1時間掛かると言います
なんと、田島副会長、高級な革靴がダメになることを承知で反対側から頂上を目指しました。
それだけではありません来年70歳になる斉藤さんが、山登りなどしたことない板垣さんが小さな子供を抱えた
仲摩さんが「子供達に弁当を届ける」という執念だけで弁当の入ったダンボールを抱え、急勾配の階段を踏みしめて
上ってきたのです。田島さんから水を受け取った真由美さんは思わず泣いてしまったそうです。
午後3時になって、やっと弁当と合流 くたくたになった隊員達は世界一おいしいお握りを食べました。
それは松栄塾という名前の家族が苦難を乗り越え本当の意味で頂上にたどり着いた瞬間でした。
時間が押したため帰りはロープウェイで下山しそのまま近くの温泉に行きました。
ロープウェイから降りてくる子供達の輝いた顔を見て田島副会長は感動し泣いてしまったと言っていました。
予算には無かったのですが、仲摩さんから寄付金をいただき全員で温泉に入ることができました。
スタッフの皆様、本当にありがとうございました。        続く