2012年12月16日 ディファ有明において全日本武術総合空手道連盟の団体が集い
タイトルマッチ、防衛戦に臨む野地竜太先生のご配慮で「野地祭り オクタゴンの空手祭り」
が開催されました これには全日本武術総合空手道連盟 松栄塾 拳成館 野地道場 破天荒塾の
代表メンバー60名が空手少年初のオクタゴンに入り基本演武、型、試し割り、少年5年生最強トーナメント
さらには野地道場VS松栄塾 5対5空手ラウンド制ワンマッチが行われました。

まず始めにこのイベントが開催可能になったのは、連盟加入団体である野地竜太先生が現役の総合格闘技
王者であり防衛戦を兼ねたイベント開催時間を確保していただいた事から始まりました。
もし野地先生がいなければ絶対に行われることのない空手少年に取ってはビックチャンスでありました。

話は長くなりますが自分たち昭和30年代40年代の空手出身者は「史上最強の空手」や「最強、最後の格闘技」を
信じてフルコンタクトの空手を修行して参りました、強さへの憧れが強ければ強いほど肉体を鍛え精神を磨き
「最強」を目背し青春のすべてを懸けて空手を修行して参りました。
 
しかしながら、1990年代に台頭してきたK-1の影響で顔面なしのルールが本当に強いのか、更に追い打ちを
かけるかのようにUFCにおけるグレイシー柔術の圧倒的な強さ、ルールなしの戦いにおいては
顔面攻撃のない空手のスタイルは各団体の最強戦士が挑戦しながらも空手最弱を証明することとなりました。

自らが信じ人生を懸けてきたものの敗北は自身の人生を否定されたような悔しさから、キックボクシング、テコンドー
柔術を学び「空手こそ最強の格闘技なり」を証明しょうと様々な団体に挑戦するも年齢的な問題から
その世界での証明は叶わず「空手は空手のルールで強ければそれでよい」というスポーツ的な感性で諦めていたとき
かつては「野生の喧嘩空手」と謳われた野地竜太さんと空手の大会を通じ知り合うこととなりました。

野地先生こそルールに逃げることなく、どんなルールであっても空手の強さを証明しようと現役を続け武道的な考えから
引退をしないと覚悟を決めた「総合空手」の王者であります。
その破天荒なる挑戦には度重なるメジャー団体からの嫉妬、妨害、迫害を受けながらも空手の力を信じ防衛を続けておられます。
まさに、そのような空手界の真の侍が存在してこそ、このイベントが可能になったと思います。

始めて立つオクタゴンという命のやりとりを行う金網に入った少年部の代表は今、自分が持つ精一杯の氣合いと演武で
「日本には民衆を守り自らを鍛え礼節を重んじ、そして最強を目指す最高の格闘技 空手があるんだ」と一人一人が
叫んでいたような気が致します、3才、4才、小学生といった年齢で世界で最も厳しい闘技場に立った空手少年拳士達は
幼くしてリングに立つ史上最強の立ち技、ムエタイの少年達に優れずとも劣らずと言えるのではないでしょうか。
いや、ムエタイの少年が生活のためビジネスのため過酷なリングに立っているならば、この少年達は空手で培った
礼節、勇気、根性、さらには友情と誠意そして何より感謝の気持ちを持ってこの舞台に上がっているのです。
演武が終わり、輝く瞳で友の戦いを見つめ惜しみのない声援を送る少年、少女達を見ていると必ずやこの中から
日本をさらのは世界を変えていくような侍が育つことを心から祈りました。

少年部試割では佐藤天君が四方割りに佐藤海さんがバット折りに挑戦しました。
11月に48歳という若さで他界された佐藤友昭さんの息子さんと娘さんでした。
成長し皆の前で立派に演武を努める二人のことを観たかっただろうになぁと想いながらも
きっと天国から見守ってくれていたと思います。
伝説の空手家である倉本成春師範は北海道で天を「お父さんは君の胸の中に大切な財産を残してくれた」
と激励してくださいました。

自分自身も北海道で骨折して以来、久しぶりの氷柱割りを行いました。
自分的には0点の出来ですが、黒澤館長と合わせて100歳を越える「親父」が
怪我をしながらの氷柱割りは若い者に「決して最後まで諦めるな」「こんな親父でも頑張っているんだぞ」と
背中は見せられたかなと思います。
審判

少年トーナメントは西村匡生君が唯一4年生で有りながら(今回のトーナメントは5年生で行いました)
優勝を勝ち取ることが出来ました。
今回のために野地道場に出稽古に行って直接、野地先生に鍛えていただき、拳成館に行っては
黒澤館長にボコボコにされた努力が実りました。
試合は僅差でありましたが、その僅差のために、ほんの少しの僅差のためにどれだけ努力が出来るのか
そこに勝負の分かれ道があると西村君は証明してくれました。
匡貴
 
一般部 トーナメントは次鋒 門垣祐平さん 副将 大澤雄一さん 大将 敦史塾長が僅差の判定ではありましたが
勝利することができ、これまた亡くなった佐藤さんの弔い合戦になったと思います。

門垣君は昨年末、アキレス腱を断裂 選手生命すら危うい状況の中、上半身の強化に励んできました
11月にはキックボクシングルールにも挑戦、いみじくも今回、松栄塾チームの特別コーチになっていただいた
金澤久幸破天荒塾長に鍛えてもらいました。

大澤親分も現在仕事状況が一転し毎週末金曜土曜日曜は朝4時から仕事が始まります。昨日も朝4時に起きて
いつも通り仕事をして早めに帰宅、午後からの参加になりました。
どんな状況にあっても自分の修行と捉えその中で精一杯自分と戦う、ここにも松栄塾の魂を持った戦士が誕生しました。
松栄塾の目標は「魂の設計」です、理屈ではなく、人生のどのような苦難、逆境に遭おうともそれを空手魂で乗り越える「侍」を
空手の修行を通じ育てること、また一つ道場の目的が明確化されたと思います。

敦史は塾長としての責任を果たしました。
彼の原動力は病気になる前、毎週土曜日、彼のクラスに欠かさず来てくれていた佐藤友昭さんの事でした。
稽古が終わると安いラーメン屋やカレーショップに行き松栄塾の未来を語り合ってくれた佐藤さん。
少ない給料で悩んでいたときにも人生の先輩として「わしも若いとき音楽に狂っていたから気持ちは分かるよ」と
優しく微笑んでくれた佐藤さん。敦史がiPhoneを持っていることを知ると大切なBOSEのステレオをくれた佐藤さん。
ファミレスで拙い愚痴を弾ける笑顔で朝まで聞き続けてくれた佐藤さん。
「いつか、必ず試合に出ます」と決意してくれた佐藤さん。
お通夜では人目も憚らず大泣きした敦史は不甲斐ない試合を重ねてしまっている自分自身を心から反省して
自分を見つめ直した、今、自分がやらなければならないことは、何なのか、その事に気づかせてもらった
だけでチャンスを作ってくださった野地先生、叱咤激励をしてくださった金澤先生、心から励ましてくださった
黒澤先生に心から感謝する野地祭りでした。
クダ敦史黒澤

人は一人で戦わなければならない でも人は一人では生きられない 多くの友だちと志を同じくする仲間
先輩、先生、師匠がいる人生の有り難さを敦史塾長は今回の戦いで学びました。

野地祭りの本当のラストを飾るタイトルマッチ 防衛戦
一時はマウントポジションを取られながら腕を極めかけられながらも
最後は空手最強の中段回し蹴りでまさに一本勝ちされた野地竜太先生
「空手をやっていて良かった」そう叫ばれた空手の「本当の勝者」には
誰よりもどの選手よりも大勢の仲間の歓喜の渦ができておりました。