デビューの時から知り合いで、道場にも何回も来てくれた 総合格闘家のエンセン井上さんが
大田区総合体育館のBJにおいて、引退式を行いました。
これには塾長、治指導員、門垣選手を連れて観戦並び引退式に参加させて戴きました。
類い希な格闘技の才能を持ったエンセン井上さんですが、始めはハワイから来たラケットボールの
選手でした、あるとき友人から紹介をされハワイで柔術を学んでいたこと、一度で良いから
格闘技の試合をしたいと聞きました、福島、郡山のスポーツクラブのラケットコートで、始めて
ミットを持って彼のパンチを受けたことを今でもはっきり覚えています。
その後、パンクラス等の格闘技団体に試合をしたいと申し込むも、ほとんど相手にされず
初代タイガーマスクの佐山さんに話したところ、当時、修斗一流選手の中井さんとスパーリングをし
すぐに、デビューが決まったと聞きました。
柔術は一流の寝業師では、ありましたが打撃に関しては、ほとんど練習したことの無いエンセンさんを
すぐに日本キックの渡邊会長に紹介し、打撃を見て貰うことになりました。
その後の活躍は、目を見張るものがあり、何とデビュー二戦目が日本武道館という修斗の超新星と
なられました。道場に張ってある写真はエンセンさんがデビューした時のものです。
見て戴ければ分かるとおり、その当時は自分の方が大きい位でしたが、その後、大和魂に相応しい
極限のトレーニングに耐えられ、スーパーヘビー級の体格と、渡邊イズムの倒すか倒されるかという
ファイトスタイルを身に付け数多くの強豪と名勝負を重ねてきました。
特にBJにおける当時UFCヘビー級チャンピオンのランディークートアとの戦いは9−1という
勝敗予想を覆し見事、裏十字で一本勝ちを修められました。

その後、宿命的な問題で一時は、評判を落としたこともありましたが、自らを省みて
数度に於ける御辺土修行を繰り返し、人に尽くす大和魂を自覚され、東日本大震災に於いて
自ら一番大変な環境に身を置き、困っている人のもとへボランティア活動を行われてきました。
現在は後進の指導と人の為になる活動を毎日繰り返しているそうです。
「自分が今いるのはお父さんお母さんのおかげ、そして支えてくれた数多くの人達に感謝する
以外にありません」引退式での挨拶はリングでは鬼と化すエンセンさんの真実の姿が
現れていました。

「死ぬまで大和魂」その言葉通り、これからも大変な人の元へ戦いを続ける事でしょう。
 エンセン井上さん お疲れ様でした、そして20年も前のことを克明に覚えていてくれて
 ありがとうございました      押忍