「新極真の三好先生にご許可いただけたら、出稽古に行ってきてもいいですか?」松栄塾の鬼軍曹、西村さんからメールを、もらったのが、8月の17日
せっかくの帰省なので、ゆっくりとされれば良いのにと、思いながらも、息子を強くすることが、全ての鬼軍曹、頑張ってくださいと返信をしました。
宇野師範代が、今年初めて西村さんの故郷に遊びに行きました。
お二人は、松栄塾に、ほぼ同時期に入門され多くの人達が、辞めていったのに、二人だけは18年も在籍してくれました。松栄塾の歴史を全部見てきたお二人です、その二人が子供のように故郷で遊びよく飲みよく食い楽しい時間を過ごされたそうです。
空港まで送迎した西村さんは、「うーさん、来てくれてありがとうね」「また東京で飲もうね」と笑顔で見送ってくれたそうです。
その翌日、クモ膜下出血で危篤になられ、意識の戻らないまま川崎で行われていた「廣重杯空手道選手権大会」を最後に見守るように霊山へと旅立たれました。
お亡くなりになってすぐ、次男の匡生君から電話をもらいました。
「父が亡くなりました……早過ぎます」後は言葉にならないご子息に
「匡生、君がしっかりと、お母さんを支えるんだ、俺も55歳だった父を突然無くしているから、気持ちはわかる、だけどいつも気合いを入れていた君のお父さんは、泣いている君を見てきっと悲しんでいるぞ。今こそ鍛えてきてもらった事を忘れるな」と伝えました。
思えば元成さんはいつも匡生を連れて、野地道場や無限勇進会、武道空手練、KWF田中道場など
組手の強い道場に出稽古をされていました。
一時はヨーロッパ選手権大会準優勝など準優勝が多くシルバーコレクターなどと息子を揶揄しておりましたが、最近では優勝が続き、お父さんも本当に嬉しそうに稽古に参加していました。
最後にあったのは、土曜日夜のパーソナルトレーニングを行うため道場に行くと、いつものメンバーで暑気払いをしていました。
トレーニングをしていると帰り際、「師範、匡生をまた宜しくお願いします 押忍」と言われてのが最後の会話になってしまいました。
様々な想い出が多すぎて、とてもここでは書き切れませんが、松栄塾の歴史を築いてくれた最大の功労者であることは、まちがいありません。
栄麻がまだ、空手着をやっと着られるようになった頃、組手の最中、チョロチョロ動いていたので「栄麻、あぶないだろう」と怒鳴りつけ、しばらく道場が怖いと行けなくなった事がありました。
和也や匡生を長時間鍛えているときなど、他の保護者の人が引いてしまうほど厳しい指導で、ついたあだ名が「鬼軍曹」でも栄麻や瑞希を怒鳴った後、自らのFBで「おいちゃんは女の子を育てた事がないから、どうしていいか、わからないんだ」と本音を明かす優しい漢でした。
余りに早く、突然の訃報に松栄塾一般部の皆様は途方に暮れております。
しかし、人生と言うのは無限ではなく有限であり、一日一日を決して後悔して生きてはいけない
限りある自分の人生を、時間を無駄にすることなく、完全燃焼していく事を鬼軍曹は、自分たちに
教えてくれた気がしてなりません。
今後、松栄塾は西村元成という一人の侍のことを決して忘れることなく、その人生を懸けて
汗を流してくれた歴史と伝統を継承して参りたいと思います。 押忍
追伸 後日、松栄塾において西村元成師範代お別れの会を執り行う予定ですので、御縁のございました皆様のご参集を切にお願い申し上げます 合掌
せっかくの帰省なので、ゆっくりとされれば良いのにと、思いながらも、息子を強くすることが、全ての鬼軍曹、頑張ってくださいと返信をしました。
宇野師範代が、今年初めて西村さんの故郷に遊びに行きました。
お二人は、松栄塾に、ほぼ同時期に入門され多くの人達が、辞めていったのに、二人だけは18年も在籍してくれました。松栄塾の歴史を全部見てきたお二人です、その二人が子供のように故郷で遊びよく飲みよく食い楽しい時間を過ごされたそうです。
空港まで送迎した西村さんは、「うーさん、来てくれてありがとうね」「また東京で飲もうね」と笑顔で見送ってくれたそうです。
その翌日、クモ膜下出血で危篤になられ、意識の戻らないまま川崎で行われていた「廣重杯空手道選手権大会」を最後に見守るように霊山へと旅立たれました。
お亡くなりになってすぐ、次男の匡生君から電話をもらいました。
「父が亡くなりました……早過ぎます」後は言葉にならないご子息に
「匡生、君がしっかりと、お母さんを支えるんだ、俺も55歳だった父を突然無くしているから、気持ちはわかる、だけどいつも気合いを入れていた君のお父さんは、泣いている君を見てきっと悲しんでいるぞ。今こそ鍛えてきてもらった事を忘れるな」と伝えました。
思えば元成さんはいつも匡生を連れて、野地道場や無限勇進会、武道空手練、KWF田中道場など
組手の強い道場に出稽古をされていました。
一時はヨーロッパ選手権大会準優勝など準優勝が多くシルバーコレクターなどと息子を揶揄しておりましたが、最近では優勝が続き、お父さんも本当に嬉しそうに稽古に参加していました。
最後にあったのは、土曜日夜のパーソナルトレーニングを行うため道場に行くと、いつものメンバーで暑気払いをしていました。
トレーニングをしていると帰り際、「師範、匡生をまた宜しくお願いします 押忍」と言われてのが最後の会話になってしまいました。
様々な想い出が多すぎて、とてもここでは書き切れませんが、松栄塾の歴史を築いてくれた最大の功労者であることは、まちがいありません。
栄麻がまだ、空手着をやっと着られるようになった頃、組手の最中、チョロチョロ動いていたので「栄麻、あぶないだろう」と怒鳴りつけ、しばらく道場が怖いと行けなくなった事がありました。
和也や匡生を長時間鍛えているときなど、他の保護者の人が引いてしまうほど厳しい指導で、ついたあだ名が「鬼軍曹」でも栄麻や瑞希を怒鳴った後、自らのFBで「おいちゃんは女の子を育てた事がないから、どうしていいか、わからないんだ」と本音を明かす優しい漢でした。
余りに早く、突然の訃報に松栄塾一般部の皆様は途方に暮れております。
しかし、人生と言うのは無限ではなく有限であり、一日一日を決して後悔して生きてはいけない
限りある自分の人生を、時間を無駄にすることなく、完全燃焼していく事を鬼軍曹は、自分たちに
教えてくれた気がしてなりません。
今後、松栄塾は西村元成という一人の侍のことを決して忘れることなく、その人生を懸けて
汗を流してくれた歴史と伝統を継承して参りたいと思います。 押忍
追伸 後日、松栄塾において西村元成師範代お別れの会を執り行う予定ですので、御縁のございました皆様のご参集を切にお願い申し上げます 合掌
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