もう13年前になります 1人スキンヘッドの大男が道場に入って来ました




一目で1990年代、ボクシングで名を挙げた「洋介山」こと西島洋介さんでした
大澤師範代のご縁があり、息子さんの豪くんが空手を行なっていました。
当時、Kー1 PRIDEなどで、世界一流の戦士たちと死闘を繰り広げていましたが
全敗、鳴り物入りで入ったPRIDEでも勝星はありませんでした。
「強さを追求したら、PRIDEだった、それだけです」総合挑戦にあたっての
テレビインタビューで語った言葉は、かつて日本人初世界クルーザー級チャンピオンに
なった時、インタビューされ「自分は会長に言われたことをやっただけです、会長に聞いてください」と
答えた寡黙な青年と被りました。
この時にもし、自分がマネージャーであったなら、ボクシングの世界チャンピオンとして上がるのだから
相手の土俵ではなくボクシングで戦わせてもらいたい、Kー1でも総合でも複合ルールでやるべきだと交渉し
たことでしょう、ルールが違えばそれは別物、マイケルジョーダンなど世界の一流選手が他の競技に挑戦して
結果を出せなかったことを見れば、一目瞭然です。
「ボクシングで戦ったら勝つのが当たり前です」彼は全て相手の条件を呑みました。
天才児 天心との戦いで一切のキックも許さなかったメイウェザーとは、大違いです。
「先生、人生ってナンナンデスカネ」はじめて食事に行った時、彼は軽い鬱だと感じました。
心から尊敬する伝説の武道家、倉本成春師範のところに連れていき、激励をしていただきました。
落ち込む彼に倉本師範は「君が出て来た時、いやー日本人でも世界に通用するヘビー級が出てきたんだと
嬉しかったことを覚えている、短距離とボクシングだけは、黒人に勝てないと思っていたよ」と
激励をされました。
そうしたなか、最後のチャンスと言える話が舞い上がりました 世界的に有名なあのマイクタイソンにも
挑戦をしたことがある野獣 ボブサップとの対戦をチャクリキ代表の甘井先生から打診されました。
倉本先生にもご相談し西島洋介引退試合ということで、レジェンドのリングに上がったのが、もう7年前です
その時には倉本塾の局長の押山先生 キックボクシングのレジェンド金澤先生 ジャパンレーストラックトレッドの
高橋代表 さらには倉本先生にまでセコンドに付いていただき、1ラウンドノックアウトという結果で今までの敗戦を
払拭するような戦いを見せてくれました。
その後、エンターティメントとしての戦いを3戦し今回が4戦目でした。
その戦いの中で、アントニオ猪木会長と会食をする機会がありました。
西島さんが畏敬するモハメッドアリ追悼試合に参加するためです。
西島さんが「今まで戦った中で誰が1番強かったですか」と質問させてもらうと
「つまんねぇ質問だな」と猪木会長は笑いながらも「アンドレだよ、あの巨人は元はサッカー選手で
物凄く早く動けるんだ、ある時、リングの外からアンドレを殴って、入り口まで逃げた選手がいて
ここまでくれば大丈夫と振り返ったら、アンドレが立っていた」という逸話を聞かせていただきました。
自分は「熊殺しウィリー」西島さんは「モハメッドアリ」を期待していたのですが、真の強さを知った
思いでした。
同じ質問を倉本師範にお聞きしたところ「それはうちの女房を除いてか」と冗談を言った後
「現役時代の西島洋介山だ」と言われ「競技というのはそのチャンピオンが1番強い、そして
どんなに強くても、人生という名のパンチはそれを上回るほど強いのだ」と御指導いただきました。
なんと優しい超人なのだと西島さんと感動したことを覚えております。
昨日の試合もコロナで大変な状況の中、元ムエタイ世界チャンピオンの金澤久幸先生がセコンドに付いて
くださいました、彼は本当に様々な人たちに守られて活きてこられたと思います。
いろんな思い出を話したら尽きることはありません
そして、これからが本当の勝負です 西島洋介山からマスターにしとして、人生のゴングは改めて
鳴らされました、今後とも、良き同志として彼の人生を見守っていきたいと思います。
応援いただきました皆様、心からありがとうございました 押忍




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i_leminiz ger�ekle_tirildikten sonra, sipari_iniz �ok h_zl_ tek ebatta birka� dakikal_k bir zamanda hizmete al_nmaktad_r.
__leme al_nmas_n_n hemen ard_ndan da i_lem tamamlanmaktad_r. http://bit.do/takipcisatinal-tr