師範日誌

松栄塾の日々の活動、道場での出来事、基本方針 武術の研究 達人の分析 試合経験記を、 御報告いたします  更新はなるべく毎日行うように 致します 教育とは魂の設計なり

2010年06月

b7259032.jpg審査会に招待されて大和市に来ています
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雲仙普賢岳の大噴火から今日で(3日)19年時の経つのは早い物です
あの大惨事が風化しないよう「要約シリーズ第1弾」創ってみました
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b5625f43.jpg宇野師範代が一般にきました
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土日で新潟に行っておりました
土曜日時間があったので佐渡に渡ったところ
お土産屋さんに北朝鮮に拉致されていたジェンキンスさんがいました
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65年、ジェンキンスは米軍の軍曹として、朝鮮半島を南北に分断する非武装地帯に配属されていた。痩せこけた24歳の青年は、今後もし、ベトナムに送られることになれば死は免れないだろうという恐怖に駆られた。  

ある夜、10本ものビールを飲みほした彼は、義務感も、さらには自由も捨て、よろめきながら軍事境界線を越えて北朝鮮に踏み入った。絶望的な思いから決行したこの深夜の“作戦”により、彼はその後40年間にわたって共産主義国家に囚われることになる。  

彼は北朝鮮にとって貴重な人質となった。彼自身はあまりにわびしく貧しい毎日で、「死んだほうがましだ」と思いながらもその暮らしに耐えた。  

やがて当時まだ10代だった1978年に北朝鮮に拉致されてきた、日本人女性の曽我ひとみと結婚することになった。そして、配給されるコメと自ら畑で育てた小ぶりな野菜で何とかやりくりしながら、2人の娘を育てた。  

曽我も娘たちも、いまだに北朝鮮でのことについては明らかにしようとしていないが、ジェンキンスだけは違う。彼は05年に『告白』というタイトルで回顧録を出版した。妻は、北朝鮮からの報復を恐れて出版に反対だった。(ロサンジェルスタイムより引用)

お土産屋に立っていたジェンキンスさんは何となく覇気がない疲れたお爺さんでした

比べてはいけませんが、士衛塾の木村越山総裁は元気の固まりのような迫力で
空手界の様々な先生に挨拶をされていました
自分のテーブルには勇志会の松井先生や琢磨会の中島先生、玄気道の中山総裁などが
着席され隣のテーブルにはJKJOの代表的な先生方が座られていました。
日本のフルコンタクト空手界を動かしている人達に囲まれ士衛塾懐の深さを
今更ながら感じました。
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