8cd39fe8.jpg7月の終わりも近い30日 今日のプライベートレッスンは
市川育海くんと福山瑞稀くん 共に大会で活躍する選手クラスなので
技の研究を中心に稽古をした 育海君は組手のセンスもあり動きも悪くないのだが
今ひとつ大会での結果が出ていない 大会がすべてではないが、
勝てる選手と負ける選手、どこに違いがあるのだろう
そんな事を考えながら、稽古をしていたらあることに、気づいた
「稽古の中で彼から気迫が伝わってこない」
どこか、やらされているという義務感のような雰囲気を感じる
戦いには勝とうとする執念が不可欠であるが、その為には
いくつもの試練を乗り越える稽古をこなさなければならない
努力なしで勝てているのは「運」と「基礎体力」のおかげで
いずれは、息が切れてしまう かつて極真会の大山総裁は
「牛を水飲み場に連れて行くのは、飼い主(指導者)の責任だが
水を飲むか、どうかは牛の責任だ」と喩えられて、受けるものの
姿勢を指摘された 親の願望ではなく「どこまで本人がやる気なのか」
もとより空手の目的は競技化された試合ではないが、厳しい稽古を
通じて自分に勝つ事を目的にするのであるならば、すべて自分を鍛える
試練と捉えて稽古をする以外に成長はあり得ない
育海くんが「本気で強くなりたい」と願った時、彼の才能は大きく
発展する事だろう。合宿でも繰り返し話してきたことは、
「成長とは変わることであり、変わるとは深さを知ること」
空手の技の深さを知り、その芸術とまで言えるような身体的技術を
身につけたいと思うことが、本当の成長であろう。
瑞稀くんはそつがなく、何でもこなしてしまうオールランドプレイヤー
だと思う 試合の時は、実に繊細な組手をする 手先が器用で何でもできる
ということは、とても大切な才能ではあるが、逆を返すとこれで倒すという
決め技に欠けるという一面も兼ねてしまう お互いに限界まで自分を出し合う
組手試合では、時として「これしかない」という技が押し切ってしまう現実が
ある故、この技だけは、誰にも負けないというものを持つことも大切な技術であろう
それらは「勝ちたい」と自分が思い悩み、「自分の頭で考えて」習得することが
一番大切だと思う 昨日の選挙を見ても相変わらず日本人には自分というものが
ない、民主党に風が吹くといわれれば、何も考えずみんなが行く方向に行く
「赤信号、みんなで渡ればこわくない」という島国根性 長いものに巻かれ
寄らば大樹の陰などど自分を失う。そういう情けない人間になってほしくないから
自分は子供達に武道を教えている 空手 試合を通して「自分の頭で考えて
行動できる」自立した人格を戦いを通じて身に付けてもらいたい
その事が試合で勝つことより、どれほどか大切な事かいずれ知るときが、
来ると思っている。
話がそれたが今日の二人は、まだまだ伸びしろが残っているということで
これから努力次第では松栄塾最強選手になる可能性大であろう
いずれにしても、選手クラスの少年と初心の少年では別人格のように
成長の度合いが違うことは、こういうレッスンをしているとよく分かる
武道を通じた教育が「強くなること」だけでなく、人間として成長できる
事を証明するため今後も全力で指導にあたっていきたい。