いよいよ始まりました竜馬伝
自分は小学生の頃から坂本竜馬の大ファンです
司馬遼太郎の名作「竜馬が行く」はたぶん10回以上読んでますから
何巻の何章に何が書かれている事まで解ります(えへん)
この話を書くとたぶん朝まで書き続けられるので
今日は竜馬と武道について書きたいと思います

竜馬はテレビ放映でもされていましたが幼少の頃、
泣き虫の夜ばぁたれ(寝ション便小僧)でした。
(一説によると10歳になっても直らなかった)
姉である坂本のお仁王様と呼ばれた乙女さんに
稽古をつけられて鼻水と涙を流しながらコテンパンにされていました。
それでも江戸の剣術修行に青春の一時期を捧げ千葉周作の北辰一刀流
免許皆伝まで腕を磨きます。
現代でもそうですが、格闘技や剣術にのめり込む一つの要因は
少年時代の虐められた記憶にあると思います。
かくいう自分も幼稚園時代、園内一の泣き虫小僧でした
父が柔道の大家でもあり「この子はうちの子ではない」と言ったほど
ひどい臆病者でお袋は170センチの大女だったので泣いている自分を
抱きかかえていると「大木に蝉が止まっている」と言われたそうです

人は幼少期、虐めや自らの弱さに出会うと強さへの願望を強く抱きます
「誰よりも強くありたい」というテンションが維持できるのは
弱い自分を心のどこかで認めているからではないでしょうか。
「はじめから強いものはいない、弱いものか、強くあろうとする者だけじゃ01pic

とは最新刊のバカボンド 又八の母親の言葉です。
はじめから強ければ格闘技の道など選ばなかった。
40年間空手を行い、今実感として言えることです。

話はそれましたが、坂本竜馬は確かに江戸に行き強く逞しく成長しました しかし、それだけでは只の剣術使いに終わったことでしょう
自ら強くなった竜馬は弱かったときの気持ちを持ち続けます
「えげれすという国は一介の女郎が将軍を選札で選び将軍は女郎のために政治を司るというぜよ、そんな国に日本をしてみたいのう」
上司に馬鹿にされ蔑まれた郷士の竜馬は自らの強さを自己顕示の為ではなく日本の洗濯のために使っていきます。
「強くなるのは何の為」
竜馬の本当の強さは人として進化する事に武道、武術を用いたことでしょう。
司馬遼太郎は書きます 「私はこの当時世界で名を残した偉大なる青年達、たとえばナポレオンなどとも肩を並べて遜色のない青年を郷士という位も権力も財力も学歴もない竜馬という青年を通して(事をなす人間の気質)というものを描きたかった。なぜ竜馬が幕末の奇跡とも言える維新回天の立役者になれたか、そこに日本の武道のすごさがある」
後生、日本を洗濯する人材を空手という武術は何人輩出出来るのであろうか 永遠の課題であります。