a82bf98f.jpg本日から宮本武蔵、五輪書に学ぶと題して「武蔵 五輪書の世界」を書いて参ります
思えば今年に入り、一般部の稽古に参加して一番感じるのは「なぜ、空手の稽古をするのだろう」と
いう疑問でした 40年以上稽古を行い何を今更と言われそうですが、空手を生業とし生涯貫こうとする
修行である以上、50の境にもう一度自分の稽古姿勢を見つめ直そうとの心掛けから「五輪書」を再読しました。現在、空手の師と呼べる人は倉本塾の倉本成春先生だけですが、過去の遺物から心掛け一つで様々な事が
学べる事でしょう。40代最後の年、50代になっても60代になっても現役でいられるため今年の初めより
数回読了いたしました。そこで感じたことは宮本武蔵という人は五輪書を読めば読むほど人気スターや有名人
になるべく素質に欠けた根本的に愛想のない人であったことが解ります。そして誰よりも「勝利にこだわり」
誰よりも「自分を愛し」誰よりも「臆病に生きた男」であったと思います。五輪書の各巻名称は宇宙の五大要素である地、水、火、風、空から取った物であり地の巻では、兵法の道概要を説き、水の巻では二天一流の剣技を火の巻では勝負そのものを、風の巻では他流との比較を、空の巻では結論を説いています。
別の視点で見るならば五輪書は一人で生き一人で戦い一人で勝利し一人で死んでいった武蔵の哀しみに溢れているとも思えます。士官の道はなく孤独な中で剣一筋に生きたその生涯。生きることに真摯であり生きる苦悩の中に強さを求め続けた。武蔵の敵は武蔵であり、戦闘はなにより自分との戦いであったと思います。
そして戦い続けた。誰よりも大胆にそして誰よりも臆病に。
歴史上、武蔵が華々しく登場したのは誰でも知っている「吉川英治の宮本武蔵」が大衆小説として朝日新聞に連載された事に始まりますが、それ以前、直木賞で有名な直木三十五と菊池 寛との「武蔵論争」でした。
武蔵最強と信じる菊池と上泉伊勢守と比べて甚だ程度が低いと武蔵を蔑んだ直木の喧嘩はしばらく続きました。
五輪書を読む上でこの論争を知ることは、ある意味武蔵の価値観に関わることであると思います。
直木は言います「伝えられる著作から露骨に感じられる傲慢不遜な態度がいけない、自らの強さを見せつける態度がまことに乱暴で大人げない、そんな人間性を露わにしている「五輪書」は見れば見るほど幼稚極まる代物である」と武蔵を批判しました。故に最晩年、細川家の客分としてわずかばかりの薄給を施されたに留まったのだと切り捨てます。方や柳生石舟斎の甥っ子、柳生宗矩は将軍家指南役にまで出世をします。
いずれにしても直木が徹底して批判した宮本武蔵を自分がもっと真に迫る素晴らしい武蔵像に変えてみせる言う吉川英治の功績は大きいでしょう。
ここで注目しなければならない点は直木が言うような武蔵の傲慢、粗暴、あるいは野獣性は彼の少年期のおそらくは恵まれなかったその家庭的、社会的境遇からきたものであって「五輪書」はまさにそれを克服した求道者の歩みを示している点だと思います。
彼の異形、奇癖、人間離れした身体能力、ぞっとするような残忍性、およそ人を寄せ付けない病的な自負心
そこからくる偏執者のような用心深さ、それでいて自己の真価を世に認めさせたいという狂おしいほどの欲求心、時代から遺棄されたような孤独、こんなところが武蔵の実像として長い間一人歩きをしてきました。
しかし、どうでしょう、五輪書を読めば読むほど彼ほど合理的に勝利を導く考えを持った武士は他には見られません。余りに遠大なるテーマ故に一度には書ききれませんが、本日より少しずつ五輪書の世界観を自分なりに解説して参りたいと思います 今後、宜しくお願い致します。

写真は吉岡一門と対決した京都三十三間堂