永楽九年(1566)年上泉伊勢守から目録を授かり新陰流の後継者となったのは柳生石舟斎宗厳で有りました 宗厳(むねとし)ほど師匠の流儀を極めて究極的に理解した人はいませんでした。当時34歳だったこの弟子が新陰流を修行して後継者のなるまで実に三年と4ヶ月しか経っていなかったと言われます。バカボンドのなかにはその出会いから試合の実態が実に良く描写されています、奈良宝蔵院で行われた試合は宗厳が何度打ち込んでも、その剣は吸い取られるようにはじき飛ばされます。次の日もまた次の日も全く同じ手順で敗れる宗厳は師に問いかけます。「剣の利とは、なんで有りましょう」にこやかに微笑む伊勢守は答えます「研鑽の努力は素晴らしい、しかして君達にとって剣とはなんぞや・・・」「人に勝ちたい」「自己の力を顕示したい」そこには「我」のみであると・・・
そして究極とも言える有名な一説「私にとって剣とは天地とひとつ・・・故に剣はなくともいいのです」「無刀」という流儀が確立される瞬間でした。宗厳の心の中に起こった事件は決して単純な物では無いでしょう。その事件は以降、何百年に渡って新陰流刀法の伝承となります。
宗厳は敗れたのではない、伊勢守が創造した一つの運動世界のなかに引き込まれ、彼の心身を貫いたのでした。言い換えれば伊勢守は宗厳の心中で何が起きているのか、はっきり見抜いていたのでしょう。勝つことに変えて創ること、奪うことに変えて与えることという伊勢守の兵法の理想は、おそらく宗厳の立ち会いのなかで実現されたのでしょう。
詰まるところ伊勢守の流儀とは「勝敗は創造された運動世界の表裏にある」と言うことでした。
ならば、それを勝敗などと呼ぶ必要もないし勝ち負けによる生死も起こす必要がない。
自らを守り敵をも傷つけない「身体で繰り返し演じられる運動世界」の(制度)=「型」でした。
そういう意味では生死に関わる本能の呪縛から人を根本的に自由にするための制度こそ「型」なのです。この種の方法と同じものが、戦国期の茶の湯や能楽のなかにあったことは、間違いないことでしょう。ここで余談ですが、最近「のぼうの城」という本を読みました。司馬遼太郎を師と仰ぐ
和田 竜氏の著書です。あらすじは周囲を湖に囲まれ、浮城とも呼ばれる忍城(おしじょう)。領主・成田家一門の成田長親は、領民から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼び親しまれる人物であった。天下統一目前の豊臣秀吉は、関東最大の勢力北条氏の小田原城を落城せんとしていた。豊臣側に抵抗するべく、北条氏政は関東各地の支城の城主に篭城に参加するよう通達。支城の一つであった忍城主の氏長は、北条に従うように見せかけ、裏で豊臣側への降伏を内通し、篭城作戦に参加していた。「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」秀吉にそう命じられ、石田三成は成田家が降伏しているとは露知らず、戦を仕掛けんとする。城はすぐに落ちるはずだった。開城か戦か、成田家に遣わされた軍使が問うと、総大将の長親は「戦」を選択。当主・氏長より降伏を知らされていた重臣たちは混乱するが、かくして忍城戦は幕を開ける。
総大将たる長親には、将に求められる智も仁も勇もない、正にその名の通り、でくのぼうのような男。主だった将兵は小田原へ赴いていた。三成率いる二万超の軍勢に、百姓らを徴発して二千強の成田氏。果たして勝機はあるのか。という物です。WPより引用
ネタ晴らしになるので詳細は避けますが、水攻めで追い詰められた忍城を救うのは華麗な戦術でも
勇者の剣でもなく只ひたすら百姓、田園を守ろうとする一人の「でくのぼう」でした。
威高々と開城を宣告する使者に子供のように駄々をこねる城主に同心のものが諭す
「我慢せよ、今降れば所領も城も安堵される。長親、我慢するのだ」
「いやなものは、いやなのだ」「武ある物が武なき者を足蹴にし才有るものが才なき者の鼻面をいいように引き回す、これが人の世か、ならばわしはいやじゃ」
強きものが強きを呼んで果てしなく強さを増していく一方で弱き者は際限なく虐げられ踏みつけにされ、一片の誇りを持つことさえ許されない。小才のきく者だけがくるくると回る頭でうまく立ち回り、人がましい顔で幅をきかす。ならば無能で人が良く愚直なだけが取り柄の者は、踏み台になったまま死ねというのか。
「それが世の習いと申すなら、このわしは許さん」
武も兵もいない「でくのぼう」の城主が立ち上がる。
最終的に最後まで落ちなかった関東の城はこの「忍城」だけであった。
城の明け渡しの際、総大将 石田三成は呟く「負けた 完敗じゃ」
「成田長親という漢は何もできないんだ、それがあの男の将器の秘密だ、それ故家臣はおろか領民までもが何かと世話を焼きたくなる、そういう男なのだ」
(あるいはあの大男は生のままの自分をさらけだしているだけかもしれぬ)
「所詮は利で繋がった我らが勝てる相手ではなかったのさ」
まさに「負けるが勝ち」の最高例というべき物語に「財力」が全てであるという現代社会に一筋の光明を見た思いでありました。
続く
