本日から毎週土曜日 全日本武術総合空手道連盟において指導部長を
御願いしている千脇先生の氣のクラスの内容を公開していこうと思います
本来ならば11月の初めから書くつもりでしたが不慮の事故で手が動かず今月最後の氣クラスからに
なってしまいました。
氣のクラスは毎週土曜日  午後6時より自由参加で行っています
氣の研究会 講師であった千脇隆司先生のボランティアクラスであります
未来を担う大切な少年達(時には様々な問題に立ち向かっているご婦人や壮年にも)に
空手の動作 作法を応用した「集中法」を中心とした「心の鍛錬」を目的としたクラスです
本来、フィジカル面が最重要しされ精神論が排他されやすいフルコンタクト空手において
なぜこのようなクラスを始めたのか、それは7年前に挑戦した世界選手権大会にまで話しを
遡ることになりますが、(クラス内容とは関係がないので其の話しはまた別の機会に)
役八年、続けて参りました。
当初、メンタルトレーニング程度にしか思わなかった「氣のクラス」が
こんなに長く続けられたのは、間違いなく効果があったからです。
開始当時、誰よりも真剣に参加していたO君は中学受験で開成に入り
中学になっても氣のクラスだけは続けていたM君は一昨年日比谷高校に最高点で入学しました
最近では個人指導も受けている佐藤 天君が出る大会のほとんどに優勝を飾っています
自分はここに空手を修行しながら新たなる可能性を見いだしました。
その内容とは、抜粋
「まず自分自身が安定を得る」
武道は「矛を止めるの道」と書きます。心身統一氣道が相手と争って勝つ武道ではないというのは、この字が持つ意味と合致するところです。
心身統一氣道は、まず始めに正しい姿勢を学びます。姿勢と言うと身体の状態が一般的ですが、日本語では心の状態も姿勢と言います。心の姿勢が身体の姿勢をつくっています。心が落ち着いていれば、身体も自然に落ち着きます。心が安定すれば、身体も自然に安定します。
これを「不動心不動体」と言います。
松栄塾の道場訓に「我々は空手を通じ、氣の道を学び、心身統一を実現する」とあります。
自分自身の心と身体が安定しているから相手の心を知って導けるのです。

自然と一体になり、相手の心を知る
自分に心があるように、相手にも心があります。自己中心的な心で氣道の技を行うと、相手の心を無視し、相手を痛めつけ無理に投げようとしてしまいます。そうれば必ず相手の心は反発し、氣道の技はまったく利きません。日常生活におきかえても、自己中心の心が人を動かすことはできません。

相手の心を知り、相手の望む通りに導くとき、相手を無理なく倒すことができます。
 心身統一氣道では、相手に心を導く前に、まず自分自身の心が天地、自然と一体になることを第一に考えます。、とあります。
氣の稽古に入る前、全員が正座をし呼吸法を行いながら、まず「自分を作る」稽古を
指示されるのではなく自発能動的に行います。
空手のクラスでは、ほとんどの先生が技術や策、方法論を指導していきます。
其の結果、弟子は自ら能動的に動くのではなく、言われたままに同じ型を繰り返すことになり
空手の教本に載っているような動きしかできない空手家が各自の個性を奪われたまま
教えられたことを消化することに全ての力を使い切り、一番大切な自ら「気づく」という
事が出来なくなってしまうと、まさに気づきました。
それはここ数年、自分の修行に大きな触発を与えてくれたお二人の武術家の考えが
余りに共通していたからであります。
その達人達は基本すらも否定的でありました
「全く身体も年齢も力も身体の固さも違う者に同じ事をやらせて成長するはずがない」
「何を100000000回繰り返せば達人になれると思うことこそ現代武術の錯覚」
「素振りを何千万回繰り返してもイチローにはならない」という言葉の数々は只、ひたすら
強くなれると信じて基本を繰り返した自分にとって衝撃的でありました。
其の意味から本当の武道の指導者というのは「自らの頭で考えて気づかせる事の出来る者」と
指導の根本的な考えを変えていく中、最も短期間で少年を変えた(それは組手が強いとか型が
うまいという次元のものでは無く)ものが「氣の稽古」でした。
いささか極端な例でありますが、いじめられている子供が入門してきたとき、まず一番最初に
空手の先生が言うことは「強くなれ、強くなって見返してやれ」であるでしょう。
20年近く、様々な少年達を指導してきて自分は最初、そのようにすることが最良であると
信じていました。そして本当に(肉体的に)強くなったとき、やられたらやり返すという姿になり、
一番大事な(いじめはいけないこと)という事に気づかず方法論で解決をする子になってしまった
事が度々ありました。本当に強くなればそんな事はないと思っていましたが、残念な事に全員を
本当に強くすることは肉体的、精神的に不可能です。
それでは先頃、行われた北朝鮮の砲撃によって韓国の軍人が「100倍1000倍にして復讐してやる」と
言った事と変わりはないと思います。
自分がやってきた武道とは・・・命をかけ青春の全てを懸けて学んできた強さとは・・・その程度のものなのでしょうか・・・
「氣のクラス」では今日も「間合い」を中心に稽古が行われました。
虐められてしまう子は自らの「間合い」を持っていない、そしてその「間合い」は絶対に教えられない
ものであると言うことを学びました。
空手の間合いならば蹴りの角度や攻撃の状況で幾らでも教えられますが「人間関係の間合い」は
自らがその事に「気づき」自分で覚知しなければ一生覚えられないものなのです。
故に大人になっても自分の間合いに気づかぬものがたくさんいるのでは、ないでしょうか。

自分たちで話し合い自主的に準備運動を行った参加者は一人一人各自の「テーマ」を決めて
稽古に入ります、様々な場面を想定して行われる「間合い」の取り方はそれこそ10人十色の
稽古が必要となります、そして氣のクラスのメインとなるのが「集中法トレーニング」です
空手の移動突きを只数回行うだけの体力的には全く疲れない稽古ですが、そこには「呼吸」「気迫」
「中心線」「視線」「調和」「移動」「バランス」「タイミング」など大変な艱難が要求されます
わずか、数分の稽古でも精神的には脳が大汗をかくような疲れを生みますが、年齢、体力、空手の
実力に関わらず自分の段階で出来る唯一の稽古だと思います。

武術の稽古とは宮本武蔵のように一人で何もないところから術を生み出し、考えに考え
自ら気づく悟りの修行であることに気づかせてくれるのが「氣のクラス」です

また千脇先生は試合に臨む選手に対して「生き残る事だけ考えろ」「勝ちたかったら、まず負けないことだ」と指導されています。
先日、読んだヒクソン・グレイシー「無敗の法則」にも
「勝つためにはまず負けないことだ、そして教えられた基本だけではなく、そこから、重要な
何かを(読み取る)必要がある」
と書いてありました。

勝つことよりもまず負けない自分を作ること、殺伐とした現代に於いて
「生き残る事」こそ武術が提案しなければならない最強のメソッドであると思います。つづく