23日 和光市総合体育館にて第8回マス大山メモリアルカップが開催されました
松栄塾からは敦史塾長 高橋孝士朗 佐藤 天の3名が参戦しました。

敦史塾長は結果的には1回戦負けでありましたが、対戦相手のミハウ・ベルネル選手(ポーランド極真)は続く二回戦、昇段審査十人組手で恐るべき力を見せた野地道場のクダ選手を破り、決勝戦では北海道の新鋭、高橋涼太選手をも破り優勝しました。そういう意味でも一回戦を落としたのはとても残念ではありましたが、対外人選手初の組手で自分らしさを出せなかった事が悔やまれます。
やはり、もう本格的に自分の組手を完成させていかなければ、これ以上前には進めないことでしょう。

高橋孝士朗選手は前回当全日本武術総合の全日本大会で痛恨の一本負けを経験しました。
少年時代は無敵を誇った孝士朗も中学からは松栄塾を離れ他団体で空手を続けていました。
孝士朗が他団体で空手をしたのは、誘った人がいて本人が決めたことでありますから、その事については何も言うことはありません、しかし「うちの道場で稽古したから優勝した」などとほざく者がいたら
それは違うとはっきり言います、「そのスタイル、現行ルールでは永遠に勝てない」と断言します。
孝士朗は松栄塾で「現行ルールで勝つための」稽古をして優勝をしました、どんな理論が成り立っても
「理証、文証は現証にはすぎず」と言います。孝士朗の勝利は負けから学び、自分に今何が必要なのか
自分の頭で考え行動した結果であります。

佐藤 天選手は全試合一本勝ちという見事な成績を残すことができました。
しかし、天もつい数ヶ月前には奈落の底に落ちもがき苦しんでいました。
初めて参戦した北海道のチャンレンジ空手大会でまさかの一回戦負け
「高いお金を使って一回戦や二回戦で負けたらしゃれにならない」みんなに公言し
少年部長任命初の試合に必勝の態勢で臨んだ屈辱の一回戦負け
彼には病と闘っている父に、少しでも喜んでもらいたいという想いがありました
父の期待を背負い、少年部全員の思いを背負いながらの敗北に、日頃冷静で感情を余り外に
出さない天が声を出さずに大粒の涙を流していたのを昨日のように想い出します

あの日から、どれほど天が努力を続けてきたか・・・

誰も見ていなくても空手の神様は彼のことを見守り続けてくれていたのでしょう
負けたときから始まるドラマ 願いが叶わなかったときの強き想い
今日、また新たなドラマが始まりました

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