明後日 土曜日 一昨年、西島洋介引退試合でレフリーを務めていただき、年末の炎の体育会TVで
活躍をされており武道を活殺と捉え、新たなるジャンルを切り開いていらっしゃる平直行先生が
おこしになられます。 1月10日(土)午後六時から七時まで 平直行先生 活殺ライトセミナー
平先生プロフィール
中学時代から東孝の下で空手(極真会館宮城支部→大道塾)を始め、高校時代にはボクシング部に所属。修斗、ブラジリアン柔術(カーリー柔術アカデミー黒帯・弐段)、シュートボクシングと多くの格闘技を習得し、独自の技術理論、試合経験を持つ。
修斗では北原辰巳(現・プロレスラーの北原光騎)、中村頼永(USA修斗代表)らとスーパータイガージムでインストラクターを務め、プリシューティング選手権では優勝。その後、シュートボクシングに転向、シーザージムに移籍する。
シュートボクシング時代は阿部健一や大江慎と共に三羽烏と称され、デル・アポロ・クック、マンソン・ギブソン、吉鷹弘らと激闘を展開。明るいキャラクターとトリッキーなファイトスタイルで人気を集める。
1992年3月に正道会館主催の「格闘技オリンピック」に参戦。リングスルールでエリック・エデレンボスと対戦、アームロックで一本勝ち。当時の平は前田日明や船木誠勝とも違ったタイプの総合格闘技の象徴的存在だった。
数度のリングス参戦を経てゼンショー総合格闘技部へ移籍するも、膝の負傷により長期欠場。その間にUFC、ブラジリアン柔術が出現するなど総合格闘技界の勢力分布図が大きく変動し、平はサンフランシスコでカーリー・グレイシーより柔術を学ぶ。
1995年9月にヤン・ロムルダー戦で復帰、柔術修行の成果を見せつける。翌10月にブラジルで開催されたバーリトゥード・ブラジル・オープンに出場、1回戦でキックボクサーのモーリス・トラビスに勝利。なお、この大会の優勝者にはヒクソン・グレイシーへの挑戦権が与えられていたが、主催者の不手際によって準決勝以降は開催されていない。
1996年、正道会館東京本部にて日本で初めてのブラジリアン柔術クラスを開講する。1998年10月28日の「K-1 JAPAN '98 〜神風〜」で3年ぶりに現役復帰しニック・サンゾーとバーリトゥード・マッチを行う予定であったが、直前になって身内の不幸でサンゾーが帰国し、アレクサンダー大塚とエキシビション・マッチを行った。2003年、古巣であるシュートボクシングの試合を最後に現役を引退。現在はK-1、シュートボクシング、プロレス(IGF等)でレフェリーを務める。
みちのくプロレスや格闘探偵団バトラーツなどでプロレスラーとしても活動した。リングス後楽園実験リーグでミックスドルールで後川聡之(正道会館)と対戦したこともある。ちなみに総合格闘技におけるラストファイトはリングスでの港太郎戦。
ブラジリアン柔術アカデミー「TRI-FORCE」代表の早川光由は平直行の一番弟子である。
ゼンショーが運営する外食チェーン店「すき家」で勤務していた際の様子が格闘技雑誌に掲載されたことがある。セコンド・レフェリーとしても活躍している。
選手、指導者時代も競技・指導する格闘技と並行して国際式ボクシングやサンボ、レスリングなども学んでいた。武術への関心も深く、徐紀から中国武術を、島田道男から太気拳を、島津兼治から日本の古武術である柳生心眼流を学んでいる。また身体の有効な使い方を求め操体法を修行。格闘技と合わせてこれらの武術や身体操作法を後進に指導している。
現在は太気拳気功会に所属し教練として後進の指導にあたっている。武道雑誌の『月刊秘伝』に出筆。同誌とコラボしたDVDなどを多数出している。
武道の新しい道 「健康になるという武術」テーマ 「活殺活」 とは
(平先生のホームページから引用)
かつての武術には、活殺、あるいは、殺活という概念が、存在していた。
武術が日常だった時代。
現代は、便利になった分だけ、身体の使い方が、忘れられている気がする。
武術の道に入る前に、みんなが自然に身に付けていた身体操作、そして身体感覚。
その感覚を、再び引きだす必要が在る気がする。
身体の内側に眠る、その感覚を引き出す。
そんな事を考えていたら、「活殺活」っていう言葉が来た。
平直行
平直行及びSTRAPPLEは「活殺活」をテーマとし活動して行きます。
心の強さは実は、身体の強さでも在る。
武術とは、本来、自分を知り、眠っている自分自身の可能性を引きだす術でも在る。
だから、仕事や学校や家庭で、役に立つと良い。そしてそうやって引き出した物を
今度は人に教えてあげると良い。自分を感じて引きだすそれが活。
本来は武術の技。命を奪うだけの技を争いや諍(いさか)いを収めることに使い
自分自身を高める為の知恵として使う。武術のコツは心と身体をいかに
活かすかという知恵の結晶。
強くないと、見えない世界が在る。強くないのに、見えた気になるのは可笑しい。
自分の身体を知り、元気に生かし、武術の技を通じてそれを高める。
そこで得た感覚と身体は武術の知恵である「活法(かっぽう)」に通じる。
活から殺へと進み、また活となる。活殺活は、もう一度回り出す。
何度も新しく周る、それが生きるという事のように、僕は感じる。
松栄塾 指導員 選手の皆様 是非 御参加ください
活躍をされており武道を活殺と捉え、新たなるジャンルを切り開いていらっしゃる平直行先生が
おこしになられます。 1月10日(土)午後六時から七時まで 平直行先生 活殺ライトセミナー
平先生プロフィール
中学時代から東孝の下で空手(極真会館宮城支部→大道塾)を始め、高校時代にはボクシング部に所属。修斗、ブラジリアン柔術(カーリー柔術アカデミー黒帯・弐段)、シュートボクシングと多くの格闘技を習得し、独自の技術理論、試合経験を持つ。
修斗では北原辰巳(現・プロレスラーの北原光騎)、中村頼永(USA修斗代表)らとスーパータイガージムでインストラクターを務め、プリシューティング選手権では優勝。その後、シュートボクシングに転向、シーザージムに移籍する。
シュートボクシング時代は阿部健一や大江慎と共に三羽烏と称され、デル・アポロ・クック、マンソン・ギブソン、吉鷹弘らと激闘を展開。明るいキャラクターとトリッキーなファイトスタイルで人気を集める。
1992年3月に正道会館主催の「格闘技オリンピック」に参戦。リングスルールでエリック・エデレンボスと対戦、アームロックで一本勝ち。当時の平は前田日明や船木誠勝とも違ったタイプの総合格闘技の象徴的存在だった。
数度のリングス参戦を経てゼンショー総合格闘技部へ移籍するも、膝の負傷により長期欠場。その間にUFC、ブラジリアン柔術が出現するなど総合格闘技界の勢力分布図が大きく変動し、平はサンフランシスコでカーリー・グレイシーより柔術を学ぶ。
1995年9月にヤン・ロムルダー戦で復帰、柔術修行の成果を見せつける。翌10月にブラジルで開催されたバーリトゥード・ブラジル・オープンに出場、1回戦でキックボクサーのモーリス・トラビスに勝利。なお、この大会の優勝者にはヒクソン・グレイシーへの挑戦権が与えられていたが、主催者の不手際によって準決勝以降は開催されていない。
1996年、正道会館東京本部にて日本で初めてのブラジリアン柔術クラスを開講する。1998年10月28日の「K-1 JAPAN '98 〜神風〜」で3年ぶりに現役復帰しニック・サンゾーとバーリトゥード・マッチを行う予定であったが、直前になって身内の不幸でサンゾーが帰国し、アレクサンダー大塚とエキシビション・マッチを行った。2003年、古巣であるシュートボクシングの試合を最後に現役を引退。現在はK-1、シュートボクシング、プロレス(IGF等)でレフェリーを務める。
みちのくプロレスや格闘探偵団バトラーツなどでプロレスラーとしても活動した。リングス後楽園実験リーグでミックスドルールで後川聡之(正道会館)と対戦したこともある。ちなみに総合格闘技におけるラストファイトはリングスでの港太郎戦。
ブラジリアン柔術アカデミー「TRI-FORCE」代表の早川光由は平直行の一番弟子である。
ゼンショーが運営する外食チェーン店「すき家」で勤務していた際の様子が格闘技雑誌に掲載されたことがある。セコンド・レフェリーとしても活躍している。
選手、指導者時代も競技・指導する格闘技と並行して国際式ボクシングやサンボ、レスリングなども学んでいた。武術への関心も深く、徐紀から中国武術を、島田道男から太気拳を、島津兼治から日本の古武術である柳生心眼流を学んでいる。また身体の有効な使い方を求め操体法を修行。格闘技と合わせてこれらの武術や身体操作法を後進に指導している。
現在は太気拳気功会に所属し教練として後進の指導にあたっている。武道雑誌の『月刊秘伝』に出筆。同誌とコラボしたDVDなどを多数出している。
武道の新しい道 「健康になるという武術」テーマ 「活殺活」 とは
(平先生のホームページから引用)
かつての武術には、活殺、あるいは、殺活という概念が、存在していた。
武術が日常だった時代。
現代は、便利になった分だけ、身体の使い方が、忘れられている気がする。
武術の道に入る前に、みんなが自然に身に付けていた身体操作、そして身体感覚。
その感覚を、再び引きだす必要が在る気がする。
身体の内側に眠る、その感覚を引き出す。
そんな事を考えていたら、「活殺活」っていう言葉が来た。
平直行
平直行及びSTRAPPLEは「活殺活」をテーマとし活動して行きます。
心の強さは実は、身体の強さでも在る。
武術とは、本来、自分を知り、眠っている自分自身の可能性を引きだす術でも在る。
だから、仕事や学校や家庭で、役に立つと良い。そしてそうやって引き出した物を
今度は人に教えてあげると良い。自分を感じて引きだすそれが活。
本来は武術の技。命を奪うだけの技を争いや諍(いさか)いを収めることに使い
自分自身を高める為の知恵として使う。武術のコツは心と身体をいかに
活かすかという知恵の結晶。
強くないと、見えない世界が在る。強くないのに、見えた気になるのは可笑しい。
自分の身体を知り、元気に生かし、武術の技を通じてそれを高める。
そこで得た感覚と身体は武術の知恵である「活法(かっぽう)」に通じる。
活から殺へと進み、また活となる。活殺活は、もう一度回り出す。
何度も新しく周る、それが生きるという事のように、僕は感じる。
松栄塾 指導員 選手の皆様 是非 御参加ください