今年の初めに突然電話をもらいました。
「重松さん元気ですか?」
「去年は忙しくてなかなか、逢えなかったから、今年は逢いましょうね」
いつものように楽しそうに話すエンセンさんに癒されました。
まさかと、耳を疑いました。最近ではBreakingDownの影響でまた、メディアに出ることが
多くなり心では喜んでいたのですが、寝耳に水のような「覚醒剤所持」
最初はチョコレートバーに入れたものを誰かに送られて、嵌められたのでは思い携帯に
電話をしましたが、残念ながら通じませんでした。
自分も保護司という法務局のボランティアを行っているので、犯罪を犯した人を擁護することは、できません。しかしながら、自分が癌に罹り苦しんでいるときには、生まれ故郷のハワイから
何度もオーガニックオイルを送ってくれて、心配してくれたエンセンさん。
本当に残念で仕方ありません、思うに彼との出会いは30年も前に遡ります。
30年前
昨年
まだ、ラケットボールの選手をされており、一度で良いから格闘技のリングに上がりたいと
言っていた彼にパンチンググローブをプレゼントし、ラケットボールコートの中でミット打ちを
したこと、昨日のことのように覚えています。その後、初代タイガーマスクの天才格闘家、佐山先生に認められ、後楽園ホールでデビュー戦を行い、修斗の超新星として大活躍をしました。
デビュー間もないというのに、いきなり東京武道館で闘ったり、東京ベイNKホールでVALE TUDO JAPANなどで、当時UFCヘビー級チャンピオンであり、世界最強と言われたランディ。クートゥアを完璧な腕十字逆固めで破るなど、日本の格闘技界トップ選手でありました。
エンセンさんとの出会いの後、新小岩にあった日本キックボクシングジムの渡邊会長に紹介し
打撃の全てと心の作り方を学びました。
そのときから、彼を見てきましたが、本当に練習熱心で全てを懸けて格闘技に打ち込んで来られました、そのことは絶対に間違いありません。
一度母校のS大学スポーツの祭典にゲスト出演していただきました。
自分が当時、S大剣道部監督の田島 稔先生と真剣白刃取りの演武を行い、当時交流があった
ローラースケートでアメリカ大陸横断と縦断をした山本隆英さんもゲストでお話をされていました。
そのときにはマネージャーのSさんが、彼のマネージメントをしていたようです。
そう言えば、行徳に会った高級スポーツクラブ「SWEAT」にセミナーで来てもらったとき
謝礼の10万円を渡そうとしたら、「Sさんに渡して、わたし、もっているとパチンコに使っちゃうから」と冗談を言っていました。
後にSさんとも金銭問題で、もめてしまい別れることになってしまいました。
松栄塾道場が開設されて2000年、道場開きには、当時奥様だった山本美優さんとまだ小さかった
アーセンさんを連れて来てくれました。
後に奥様との事にも何度か相談に乗りましたが、残念ながら別れてしまいました。
その後、マリファナ所持で逮捕されたあとは、何回もお辺土の修行を繰り返し、四国巡礼の旅を重ねていました。罪を後悔し、少しでも世間の役に立ちたいと東日本大震災の時には
被災地にたくさんの支援物資を持参して、現地の人たちを助けていました。
しかし残念な事に格闘技には、どうしてもそれ以外の様々な事がついてきてしまいます、
「金」「組織」「人間関係」もともと陽気なハワイアンで、いつでも優しかった彼が
違う道に走ってしまったのは、やはり格闘技と武道は違うという事であります。
格闘技と武道 似て似つかないこの二つは微妙に目的が違います 格闘技が名誉とお金
権威とタイトルを目指すものと対して、武道は自己統率、無心、心の鍛え、自己完成を目指すもの
とその違いが明確です。そういえば、その昔、今はメジャーな那須川天心さんが少年時代、うちの
空手の大会に出てきてくれて、少年部のトーナメントで優勝されました。
会場入口に立っていた少年時代の天心くんに、缶ジュースを渡すと溢れるような笑顔が忘れられません
今はプロとなり世界を目指すファイターですが、あの頃の純粋な姿で居てほしいなと老婆心で思います。
エンセンさんは西葛西にも、よく遊びに来てくれて、道場にも気軽に訪問しては、西島洋介さんとミット打ちをされていました、その純粋なエンセンさんを信じ、必ず更新改正されることを心から願っております。
「重松さん元気ですか?」
「去年は忙しくてなかなか、逢えなかったから、今年は逢いましょうね」
いつものように楽しそうに話すエンセンさんに癒されました。
まさかと、耳を疑いました。最近ではBreakingDownの影響でまた、メディアに出ることが
多くなり心では喜んでいたのですが、寝耳に水のような「覚醒剤所持」
最初はチョコレートバーに入れたものを誰かに送られて、嵌められたのでは思い携帯に
電話をしましたが、残念ながら通じませんでした。
自分も保護司という法務局のボランティアを行っているので、犯罪を犯した人を擁護することは、できません。しかしながら、自分が癌に罹り苦しんでいるときには、生まれ故郷のハワイから
何度もオーガニックオイルを送ってくれて、心配してくれたエンセンさん。
本当に残念で仕方ありません、思うに彼との出会いは30年も前に遡ります。
30年前
昨年
まだ、ラケットボールの選手をされており、一度で良いから格闘技のリングに上がりたいと
言っていた彼にパンチンググローブをプレゼントし、ラケットボールコートの中でミット打ちを
したこと、昨日のことのように覚えています。その後、初代タイガーマスクの天才格闘家、佐山先生に認められ、後楽園ホールでデビュー戦を行い、修斗の超新星として大活躍をしました。
デビュー間もないというのに、いきなり東京武道館で闘ったり、東京ベイNKホールでVALE TUDO JAPANなどで、当時UFCヘビー級チャンピオンであり、世界最強と言われたランディ。クートゥアを完璧な腕十字逆固めで破るなど、日本の格闘技界トップ選手でありました。
エンセンさんとの出会いの後、新小岩にあった日本キックボクシングジムの渡邊会長に紹介し
打撃の全てと心の作り方を学びました。
そのときから、彼を見てきましたが、本当に練習熱心で全てを懸けて格闘技に打ち込んで来られました、そのことは絶対に間違いありません。
一度母校のS大学スポーツの祭典にゲスト出演していただきました。
自分が当時、S大剣道部監督の田島 稔先生と真剣白刃取りの演武を行い、当時交流があった
ローラースケートでアメリカ大陸横断と縦断をした山本隆英さんもゲストでお話をされていました。
そのときにはマネージャーのSさんが、彼のマネージメントをしていたようです。
そう言えば、行徳に会った高級スポーツクラブ「SWEAT」にセミナーで来てもらったとき
謝礼の10万円を渡そうとしたら、「Sさんに渡して、わたし、もっているとパチンコに使っちゃうから」と冗談を言っていました。
後にSさんとも金銭問題で、もめてしまい別れることになってしまいました。
松栄塾道場が開設されて2000年、道場開きには、当時奥様だった山本美優さんとまだ小さかった
アーセンさんを連れて来てくれました。
後に奥様との事にも何度か相談に乗りましたが、残念ながら別れてしまいました。
その後、マリファナ所持で逮捕されたあとは、何回もお辺土の修行を繰り返し、四国巡礼の旅を重ねていました。罪を後悔し、少しでも世間の役に立ちたいと東日本大震災の時には
被災地にたくさんの支援物資を持参して、現地の人たちを助けていました。
しかし残念な事に格闘技には、どうしてもそれ以外の様々な事がついてきてしまいます、
「金」「組織」「人間関係」もともと陽気なハワイアンで、いつでも優しかった彼が
違う道に走ってしまったのは、やはり格闘技と武道は違うという事であります。
格闘技と武道 似て似つかないこの二つは微妙に目的が違います 格闘技が名誉とお金
権威とタイトルを目指すものと対して、武道は自己統率、無心、心の鍛え、自己完成を目指すもの
とその違いが明確です。そういえば、その昔、今はメジャーな那須川天心さんが少年時代、うちの
空手の大会に出てきてくれて、少年部のトーナメントで優勝されました。
会場入口に立っていた少年時代の天心くんに、缶ジュースを渡すと溢れるような笑顔が忘れられません
今はプロとなり世界を目指すファイターですが、あの頃の純粋な姿で居てほしいなと老婆心で思います。
エンセンさんは西葛西にも、よく遊びに来てくれて、道場にも気軽に訪問しては、西島洋介さんとミット打ちをされていました、その純粋なエンセンさんを信じ、必ず更新改正されることを心から願っております。
コメント