最後の落合信彦さん話題 落合陽一さんの伝言
父の逝去に際し,ご丁重なご弔意ならびに温かいお言葉を賜り,誠にありがとうございます. 現在,父は家族とともに静かに過ごしており,葬儀を迎えるまでの時間を穏やかに見守っております. 三日ほどが経ち,私自身も,父を偲びながら日々の営みや思考に少しずつ立ち戻りつつあります.
今週は,父を悼みつつ,折に触れて文章を綴る機会が増えるかと存じますが,その折はご寛恕のうえお付き合いいただけましたら幸いです.何か心に留まることがございましたら,ご一言お寄せいただければありがたく存じます.
父は毀誉褒貶の多い人物であり,人によっては薫陶を受けたと語られる一方,人によっては距離を置かれたこともありました.その姿を見ながら,私は若い頃より,父とは異なる領域を歩もうと意識してきたように思います. とりわけ情報が過剰に循環する時代においては,評価や否定が先行し,人格そのものが語られてしまう場面も少なくありません.そのため,言葉や評判ではなく,検証可能な事実や具体的な成果によって判断されうる領域を選んできた部分もあったのだと,あらためて振り返っています.
ーー
さて,3日目になりまして,追悼記事などが多く出てきてありがたい限りなのです.父の「伝説」は私から見ても「そんなわけないだろ」というのがかなりあるのですが,意外と「それなら覚えてるな」というのもあったりして,なんとなく父の大ボラと付き合ってみようと思います.
というのも私も中学生くらいのときから,なんでこの人はそんなこと言うんだろうと思うことが多くなり,よく喧嘩していたのですが,ただ実家に帰るとモサドの人がいるとかCIAの人がみたいなことはよくある家だったので,なにぶん清濁合わせ飲む必要があるかなと思うのです.アメリカに亡命した中国共産党の人がよく実家に遊びに来ていたのですが,「先生,落合坂ってネーミングライツはいくらで買ったんですか」とよく聞いていたのを覚えています.
ーー
wikipediaでも見てみましょう
* ブラックマンデー直前に友人のドナルド・トランプに売りの指示をして、巨額の損失を回避させることに成功した[要出典]。
これはたぶん間違いか嘘か.ドナルド・トランプのインタビューには行っているが折りが合わなかったと本人も言っていた.
* 当時のロバート・ケネディ上院議員の大統領選挙スタッフとしても活動[要出典]。暗殺について、殺害犯サーハン・ベシャラ・サーハンは遠隔からのマインド・コントロールを受けていたという説を発表[要出典]。獄中のサーハンを精神科医と共に訪問し[要出典]、サーハンに加害意識がないことを確信したという[要出典]。
大統領選のスタッフは何かしらやってたのではないだろうか,後半はわからない.(家族目線)
* 『アメリカよ!あめりかよ!』(1987年、集英社)で、英語は辞書の単語を覚えたらその頁を食べて覚えた。また、聖書を暗記した。と述べている。[要出典]。
これは本当に辞書食べてた! 聖書も暗記してた!(よく間違えてたけど) まぁ頑張り屋さんだってことですね
* CIAに200名の知り合いがいる[要出典]。
これはありそう.CIAは協力者まで入れれば結構多いと思うんだよね(現に飯を食べに実家にいたような)
* キャリアの絶頂期には情報収集のために年間3000万円、国際電話代は月に200万円以上の経費を計上していた[要出典]。
これは多分本当だと思う(ファーストクラスしか乗らない+長電話の人なので) あとホテル暮らしが長かったし.
* 襲撃に備え、レストランでは常に壁を背にして座る[要出典]。
これは嘘な気がするな.というより個室がある店しかほとんど行かなかった気がする.ずっと泊まりっぱなしだったニューオータニのホテルの部屋は襲撃に備えていた気がするな.(30年間くらい連泊してたと思う.部屋に仏壇置いてた)
* 車に乗り込む前は、爆弾が仕掛けられていないかチェックをする[要出典]。
これはギャグなのではと思ったけど,やってそう
* 小規模会社でありながら、中東、南米、アフリカ等におけるジャイアンツ(巨大油田)の発見や石油メジャーとビジネス交渉などを行う[要出典]。もっぱら後進国である現地で暴動がおこり会社のオペレーションが被害を受けることもたびたびあり、落合の人脈で特に最も信用できるエンジニアが流れ弾に当たって死亡する事故がアフリカで起きた[要出典]。
これはわからないけど,死んだ人の息子さんか親族の人が実家にきてこの話してくれたような記憶があるんだけど,なんの話だったかな.ちょっとずれてる気はするけど流れ弾で死んだ人いた気がする.
* ベトナム戦争で戦死した友人に代わり社長に就任(1968年)[要出典]。会社名は集英社のパーティーでワイルドターキーを飲みすぎたときに忘れたままだという[要出典]。
そんなことあるかよw
* サンフランシスコの日本人街にあるバーで流れる日本の歌を聴いて望郷の念に駆られ、日本に一時帰国(1971年)[要出典]。その歌とは村田英雄の『無法松の一生』であった[要出典]。
これも怪しいな
* 会社を売却[要出典]。オイルショックのわずか7ヶ月前であった(1973年)[要出典]。
これは正直わからない.小さい会社を精算したりはしてそう.
* ブルース・リーと対戦し、勝利した経験がある[要出典]。本人曰く「あんまり強くなかったですね、ブルース・リーは。(中略)3分で勝負がつきました」[10]。
これは多分兄がヌンチャクとかの演技指導で入ってたのと混ざってるんじゃないかな.兄(秀彦)はめっちゃ強い空手家だとは思う(一緒に道場やってたのはそうだと思う)
https://www.imdb.com/name/nm0643693/
* 小室直樹が著書『ソビエト帝国の崩壊』(1980年)でソ連の崩壊を10年以上も前に予言していたが、これに対して「ソ連が崩壊する事は絶対有り得ない、ソ連共産党のシステムや内部情報が全く理解出来ていないインテリジェンス能力の欠けた者の戯れ言だ」と手厳しく批判していた[要出典]。
これはわからないな,いいそう.ちなみに私が第一期ドナルド・トランプの選挙のときに「勝つのはドナルド・トランプだと思う」と言ったらぶん殴られて喧嘩になったことがある.主張と事実と信念が混ざり合ってしまうのが父の短気さであり,弱点であるとともにチャーミングポイントでもある.(私は父の話は話半分に聞くことにしている)
他にも「傭兵作戦」の取材のときに梯子で降りてくる編集部員をピストルで撃ちながら,「早く降りてこい!」って怒鳴ってたとかいう話があるんですが,あれは何人かが言っているそうなので多分事実だと思います.
ーー
今日のデイリー新調
https://www.dailyshincho.jp/article/2026/02031530/
* 「集合時間になっても落合さんが現れないので心配をしていたら、バリバリバリバリッとものすごい轟音を立てながら、ヘリコプターが飛んできて、ゴルフ場に着陸したんです。中から現れたのは、もちろん落合さん(笑)。『悪い悪い、忙しくて』なんて言ってましたが、ビールのCMを意識しているのは明らか。あの人なりの自己演出だったんでしょうが、普通の感覚ではない」(元担当編集者)
これ本当だと思う.経費使いきれずにやってそう.
* 「昔、担当者から聞いたところ、落合さんは自分の原稿を読み返して感動して泣いているそうです。やはり普通じゃないですよ」
これも本当だと思う.見たことがある.
* デーブ氏に当時の記憶を辿ってもらったところ、こんな言葉が返ってきた。 「落合さんの本に“取材では相手を怒らせろ”と書いてあったから、そのとおりにしたら本当に怒ってボツにされちゃった。でも、具体的に何に対して怒ったのかはまったく覚えていないけどね」
これもありそう.ちなみに番組でデーブさんが黙るツッコミは「よっ! さすがCIA協力者!」というと珍しくデーブさんが黙って返事が返ってこなくなりますw と思うとCIA対談だったのではw
さてさてお後がよろしいようで.
ーー
ちなみに全裸監督2のライバルがうちの親父(ビールのコマーシャルに出ていてヘリから降りてくる人)と母親(衛星放送テレビ局の経営)のハイブリッドなので興味ある方はご覧ください.実家の造形が完コピに近いです.すごいなって思っちゃった.
私が覚えてる謎エピソードは,
* 誕生日にニヤニヤしながら近づいてきた父が布の袋をくれるから開けたら「瀕死のしなびた子犬」が出てきたこと(犬が欲しいと言っていたので買ってきたが持ち運び過ぎてぐったりしていた)、取り出したら一応元気になった(トップ画像の犬です)
* 日本の運転免許持ってなかった気がする(ベントレーとか買うんだけど母が運転していた)
* 空手は多分強かったと思う.巻藁の打ち過ぎで拳はガチガチだった.おじさんはもっと強かったと思うというか今でも怖い.
* ヘビースモーカーすぎて地球上どこでもタバコ吸ってた記憶がある.寿司屋で吸えなくて出てった事がある(2度とくるかー! って言ってたw)
* 朝起きてきて、真顔で「お前、タイムマシン、って、作れる、か?」って聞かれたことがある
* 私の友達が遊びにきて、君の将来の夢はなんだねと聞いて「長生き」と答えた友達に、「そんなくだらないことを言うな」と真顔でキレ出した(だったかな、机はぶん投げてなかった気はする)その後1時間説教
* ホテルで現金出しっぱなしにしておいたら5000万なくなった? だったかな うっかり現金で5000万を置きっぱなしにしたってことだけ覚えてて,戻ってきたんだったっけ
* ワードしか使わないけど晩年はMacPro使ってた.
他にも思い出したらご報告します.
重ねて,父の逝去に際し,ご丁重なご弔意ならびに温かいお言葉を賜り,誠にありがとうございます.
改めて振り幅の大きな方だったんだと思いました 押忍 合掌
父の逝去に際し,ご丁重なご弔意ならびに温かいお言葉を賜り,誠にありがとうございます. 現在,父は家族とともに静かに過ごしており,葬儀を迎えるまでの時間を穏やかに見守っております. 三日ほどが経ち,私自身も,父を偲びながら日々の営みや思考に少しずつ立ち戻りつつあります.
今週は,父を悼みつつ,折に触れて文章を綴る機会が増えるかと存じますが,その折はご寛恕のうえお付き合いいただけましたら幸いです.何か心に留まることがございましたら,ご一言お寄せいただければありがたく存じます.
父は毀誉褒貶の多い人物であり,人によっては薫陶を受けたと語られる一方,人によっては距離を置かれたこともありました.その姿を見ながら,私は若い頃より,父とは異なる領域を歩もうと意識してきたように思います. とりわけ情報が過剰に循環する時代においては,評価や否定が先行し,人格そのものが語られてしまう場面も少なくありません.そのため,言葉や評判ではなく,検証可能な事実や具体的な成果によって判断されうる領域を選んできた部分もあったのだと,あらためて振り返っています.
ーー
さて,3日目になりまして,追悼記事などが多く出てきてありがたい限りなのです.父の「伝説」は私から見ても「そんなわけないだろ」というのがかなりあるのですが,意外と「それなら覚えてるな」というのもあったりして,なんとなく父の大ボラと付き合ってみようと思います.
というのも私も中学生くらいのときから,なんでこの人はそんなこと言うんだろうと思うことが多くなり,よく喧嘩していたのですが,ただ実家に帰るとモサドの人がいるとかCIAの人がみたいなことはよくある家だったので,なにぶん清濁合わせ飲む必要があるかなと思うのです.アメリカに亡命した中国共産党の人がよく実家に遊びに来ていたのですが,「先生,落合坂ってネーミングライツはいくらで買ったんですか」とよく聞いていたのを覚えています.
ーー
wikipediaでも見てみましょう
* ブラックマンデー直前に友人のドナルド・トランプに売りの指示をして、巨額の損失を回避させることに成功した[要出典]。
これはたぶん間違いか嘘か.ドナルド・トランプのインタビューには行っているが折りが合わなかったと本人も言っていた.
* 当時のロバート・ケネディ上院議員の大統領選挙スタッフとしても活動[要出典]。暗殺について、殺害犯サーハン・ベシャラ・サーハンは遠隔からのマインド・コントロールを受けていたという説を発表[要出典]。獄中のサーハンを精神科医と共に訪問し[要出典]、サーハンに加害意識がないことを確信したという[要出典]。
大統領選のスタッフは何かしらやってたのではないだろうか,後半はわからない.(家族目線)
* 『アメリカよ!あめりかよ!』(1987年、集英社)で、英語は辞書の単語を覚えたらその頁を食べて覚えた。また、聖書を暗記した。と述べている。[要出典]。
これは本当に辞書食べてた! 聖書も暗記してた!(よく間違えてたけど) まぁ頑張り屋さんだってことですね
* CIAに200名の知り合いがいる[要出典]。
これはありそう.CIAは協力者まで入れれば結構多いと思うんだよね(現に飯を食べに実家にいたような)
* キャリアの絶頂期には情報収集のために年間3000万円、国際電話代は月に200万円以上の経費を計上していた[要出典]。
これは多分本当だと思う(ファーストクラスしか乗らない+長電話の人なので) あとホテル暮らしが長かったし.
* 襲撃に備え、レストランでは常に壁を背にして座る[要出典]。
これは嘘な気がするな.というより個室がある店しかほとんど行かなかった気がする.ずっと泊まりっぱなしだったニューオータニのホテルの部屋は襲撃に備えていた気がするな.(30年間くらい連泊してたと思う.部屋に仏壇置いてた)
* 車に乗り込む前は、爆弾が仕掛けられていないかチェックをする[要出典]。
これはギャグなのではと思ったけど,やってそう
* 小規模会社でありながら、中東、南米、アフリカ等におけるジャイアンツ(巨大油田)の発見や石油メジャーとビジネス交渉などを行う[要出典]。もっぱら後進国である現地で暴動がおこり会社のオペレーションが被害を受けることもたびたびあり、落合の人脈で特に最も信用できるエンジニアが流れ弾に当たって死亡する事故がアフリカで起きた[要出典]。
これはわからないけど,死んだ人の息子さんか親族の人が実家にきてこの話してくれたような記憶があるんだけど,なんの話だったかな.ちょっとずれてる気はするけど流れ弾で死んだ人いた気がする.
* ベトナム戦争で戦死した友人に代わり社長に就任(1968年)[要出典]。会社名は集英社のパーティーでワイルドターキーを飲みすぎたときに忘れたままだという[要出典]。
そんなことあるかよw
* サンフランシスコの日本人街にあるバーで流れる日本の歌を聴いて望郷の念に駆られ、日本に一時帰国(1971年)[要出典]。その歌とは村田英雄の『無法松の一生』であった[要出典]。
これも怪しいな
* 会社を売却[要出典]。オイルショックのわずか7ヶ月前であった(1973年)[要出典]。
これは正直わからない.小さい会社を精算したりはしてそう.
* ブルース・リーと対戦し、勝利した経験がある[要出典]。本人曰く「あんまり強くなかったですね、ブルース・リーは。(中略)3分で勝負がつきました」[10]。
これは多分兄がヌンチャクとかの演技指導で入ってたのと混ざってるんじゃないかな.兄(秀彦)はめっちゃ強い空手家だとは思う(一緒に道場やってたのはそうだと思う)
https://www.imdb.com/name/nm0643693/
* 小室直樹が著書『ソビエト帝国の崩壊』(1980年)でソ連の崩壊を10年以上も前に予言していたが、これに対して「ソ連が崩壊する事は絶対有り得ない、ソ連共産党のシステムや内部情報が全く理解出来ていないインテリジェンス能力の欠けた者の戯れ言だ」と手厳しく批判していた[要出典]。
これはわからないな,いいそう.ちなみに私が第一期ドナルド・トランプの選挙のときに「勝つのはドナルド・トランプだと思う」と言ったらぶん殴られて喧嘩になったことがある.主張と事実と信念が混ざり合ってしまうのが父の短気さであり,弱点であるとともにチャーミングポイントでもある.(私は父の話は話半分に聞くことにしている)
他にも「傭兵作戦」の取材のときに梯子で降りてくる編集部員をピストルで撃ちながら,「早く降りてこい!」って怒鳴ってたとかいう話があるんですが,あれは何人かが言っているそうなので多分事実だと思います.
ーー
今日のデイリー新調
https://www.dailyshincho.jp/article/2026/02031530/
* 「集合時間になっても落合さんが現れないので心配をしていたら、バリバリバリバリッとものすごい轟音を立てながら、ヘリコプターが飛んできて、ゴルフ場に着陸したんです。中から現れたのは、もちろん落合さん(笑)。『悪い悪い、忙しくて』なんて言ってましたが、ビールのCMを意識しているのは明らか。あの人なりの自己演出だったんでしょうが、普通の感覚ではない」(元担当編集者)
これ本当だと思う.経費使いきれずにやってそう.
* 「昔、担当者から聞いたところ、落合さんは自分の原稿を読み返して感動して泣いているそうです。やはり普通じゃないですよ」
これも本当だと思う.見たことがある.
* デーブ氏に当時の記憶を辿ってもらったところ、こんな言葉が返ってきた。 「落合さんの本に“取材では相手を怒らせろ”と書いてあったから、そのとおりにしたら本当に怒ってボツにされちゃった。でも、具体的に何に対して怒ったのかはまったく覚えていないけどね」
これもありそう.ちなみに番組でデーブさんが黙るツッコミは「よっ! さすがCIA協力者!」というと珍しくデーブさんが黙って返事が返ってこなくなりますw と思うとCIA対談だったのではw
さてさてお後がよろしいようで.
ーー
ちなみに全裸監督2のライバルがうちの親父(ビールのコマーシャルに出ていてヘリから降りてくる人)と母親(衛星放送テレビ局の経営)のハイブリッドなので興味ある方はご覧ください.実家の造形が完コピに近いです.すごいなって思っちゃった.
私が覚えてる謎エピソードは,
* 誕生日にニヤニヤしながら近づいてきた父が布の袋をくれるから開けたら「瀕死のしなびた子犬」が出てきたこと(犬が欲しいと言っていたので買ってきたが持ち運び過ぎてぐったりしていた)、取り出したら一応元気になった(トップ画像の犬です)
* 日本の運転免許持ってなかった気がする(ベントレーとか買うんだけど母が運転していた)
* 空手は多分強かったと思う.巻藁の打ち過ぎで拳はガチガチだった.おじさんはもっと強かったと思うというか今でも怖い.
* ヘビースモーカーすぎて地球上どこでもタバコ吸ってた記憶がある.寿司屋で吸えなくて出てった事がある(2度とくるかー! って言ってたw)
* 朝起きてきて、真顔で「お前、タイムマシン、って、作れる、か?」って聞かれたことがある
* 私の友達が遊びにきて、君の将来の夢はなんだねと聞いて「長生き」と答えた友達に、「そんなくだらないことを言うな」と真顔でキレ出した(だったかな、机はぶん投げてなかった気はする)その後1時間説教
* ホテルで現金出しっぱなしにしておいたら5000万なくなった? だったかな うっかり現金で5000万を置きっぱなしにしたってことだけ覚えてて,戻ってきたんだったっけ
* ワードしか使わないけど晩年はMacPro使ってた.
他にも思い出したらご報告します.
重ねて,父の逝去に際し,ご丁重なご弔意ならびに温かいお言葉を賜り,誠にありがとうございます.
改めて振り幅の大きな方だったんだと思いました 押忍 合掌
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