突然の解散でした
まず、衆議院解散は憲法上、内閣総理大臣に非常に強い裁量が与えられている制度です。そのため歴史的にも、「国政の争点を問うため」だけでなく、「政権運営上の不利を打開するため」「世論の関心を切り替えるため」に使われてきた側面は否定できません。今回指摘されているように、外交・安全保障、とりわけ台湾問題のような国際的に極めて敏感なテーマに関する発言が国内外で波紋を呼んだ場合、政権が強い政治的圧力にさらされるのは自然な流れです。
その中で解散総選挙を選択することは、**「説明責任から逃げる行為」**と受け止められるリスクを伴います。選挙は一回あたり数百億円規模の公費を要し、国民生活に直結する物価高、少子化、社会保障といった課題が山積する中で行われるなら、「本当に今やるべきなのか」という疑問が生じるのは当然です。特に、争点が不明確なままの解散は、「政権保身のための国民負担」との批判を免れません。
自分も選挙管理委員という地元役員が選ばれるお手伝いに準じておりますが、一日中投票箱の前で管理をして、選挙の大変さを感じております。
一方で、政権側の論理としては、「信を問う」「国民の判断を仰ぐ」という形式的正当性が用意されています。これは制度上

は正しい。しかし問題は、その“信”の中身が具体的に何なのかが曖昧な場合です。失言や軽率な発言への説明や検証を十分に行わないまま、選挙という大きなイベントで空気を上書きしようとする姿勢が見えるなら、民主主義の成熟度という観点では後退と言わざるを得ません。
昨年、新年の初めに「宮藤さんに、言ってもしょうがないんですけど」で空手道場の愚痴を言ってしまいましたが、今だったら、それ以上に政治の愚痴を言ったかもしれません
総じて言えば、今回のようなケースは「違法ではないが、政治的倫理としては極めて重い問題をはらむ解散」です。解散権の乱用が常態化すれば、国民の政治不信はさらに深まり、選挙そのものの意味も空洞化していきます。問われているのは発言の是非だけでなく、権力をどう使うかという政治姿勢そのものだと考えます。
各月第二日曜日に行っています、松栄カップは、15日に変更致します。
よろしくお願い申し上げます。
